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東京地方裁判所 昭和45年(むのイ)1354号 決定

主文

本件勾留取消の請求を棄却する。

理由

一  本件請求の趣旨および理由は、弁護人保坂紀久雄作成名義の昭和四五年七月九日付勾留取消請求書に記載のとおりであるから、これを引用する。

その要旨は、「被告人○○に対する勾留は、昭和四五年六月二九日以降においてその実質上、専ら、右勾留の基礎となつている事実(いわゆる東大事件)とは関係のないいわゆる赤軍派関係の事実について捜査官が取調を行なうための身柄拘束と化していて違法な別件勾留であるというべきであり、仮りにそうは認められないとしても、同日以降右勾留は捜査官による刑訴法一九八条、ひいては憲法三一条、三八条に違反した取調のために利用されていて、勾留自体が違法なものとなつている。よつて、刑訴法八七条にいう「勾留の必要がなくなつたとき」に準じて被告人○○に対する勾留を取り消すことを求める。」というにある。

二  当裁判所の判断

(一) まず初めに、本件勾留取消請求に関連して被告人○○から当裁判所に対し、公判廷で、「勾留中の者に対し捜査官等による違法行為があつた場合における裁判所の責任」ということについて法律の誤解に基づくと思われる発言・抗議がなされているので、右の点について若干説明することにする。勾留はもとより裁判官または裁判所(以下単に「裁判官」という。)の行なう勾留の裁判に基づいてはじめて執行されるのであるが、そうだからといつて、直にその勾留中にたまたま例えば捜査官等が勾留されている者に対し違法または不当な行為をなした場合に、右違法または不当な行為がなされたことに対する責任を裁判官が負わなければならないいわれはない。なぜならば、現行法制上は、裁判官には捜査官等の職務執行についての一般的な監督権限ないしは監督義務はないのみならず、また、勾留状を発した裁判官に対し勾留期間中に捜査官等による違法行為等が行なわれていないかどうかをつねに進んで調査したり、探索したりすることを命じている規定は見当らないのであり、またそのようなことをなしうる実際的状況にもないからである。前記違法行為等に対する責任を負うべきは、当該行為者である捜査官等であり、場合によつてはその上司である監督権者に責任が及ぶに過ぎないのである。ただ、裁判官としては、勾留されている者、その親族や弁護人等から前記違法行為等に対する救済を求められたり、あるいは他の事情から捜査官等による違法行為等が行なわれているのではないかという疑いを抱くに至つたときにおいて、はじめて裁判官として、なにをなしうるか、なにをなすべきかということが問題になるにすぎない。そして、この点については、人権保障の見地から身柄拘束に対する司法的抑制を強化した現行刑訴法の下においては、右のような場合には裁判官としては先ず事実を調査し、違法行為等が判明した場合には、一面ではその行為の態様、違法・不当の程度、将来においてもその違法行為等が行なわれるかどうか等の点とともに他面当該被疑者、被告人に対する勾留の必要の程度の強弱を比較衡量した上で事案に応じて、当該捜査官等またはその上司に対する違法行為等の中止勧告、検察官に対する移監勧告(職権による移監の可否についてこれを肯定するとすれば、裁判官の移監命令)、勾留執行停止、保釈および勾留取消等の措置を講ずるのが相当である。(なお、勾留取消についていえば、本件申立人である弁護人は、刑訴法八七条にいう「勾留の必要がなくなつたとき」に準ずるべきであるとするが、勾留についての必要性の判断は本来勾留しなければならない積極的な必要性(勾留する方に働く事情)と勾留することによる不利益、弊害(勾留しない方に働く事情)との綜合的な比較衡量判断であるが、捜査官の違法行為により勾留中の者に対し著るしい不利益、弊害を与えることがあるとすれば、右事情は当然前記勾留しない方に働く一事情として考慮すべきであつて、これを理由とする場合の勾留取消も右刑訴法八七条を直接適用してなすべきものと解するのが相当である。)したがつて、被告人らが問題とする「裁判所の責任」とは裁判官が、捜査官等のなした違法行為等について直接的に責任を負うのではなく、右のように捜査官等による違法行為が判明したのに救済措置を講ずることなく放置していた場合等においてはじめて自らの職責を全うしなかつたという見地から責任を問われることになるわけである。

(二)  そこで、以上のことを前提として、本件の具体的な場合に即しての判断に入ると、まず、本件勾留関係記録、被告人○○の公判廷における供述および当裁判所が調査した結果によると、同被告人についての身柄拘束に関する経過は、次のとおりであると認められる。

昭年四四年一月一九日 建造物侵入、兇器準備集合、公務執行妨害、傷害放火罪により現行犯逮捕

同月二二日 右罪名で勾留状発付

同月二三日 右勾留状執行

同年二月一〇日 右のうち兇器準備集合、建造物侵入、公務執行妨害(以下単に「東大事件」という)で起訴

同年七月七日 保釈許可決定

同月一一日 右決定により釈放

昭和四五年五月一一日 公判期日不出頭、保釈条件違反を理由に保釈取消決定

同年六月一八日 右保釈取消決定により収監されようとした際警察官に抵抗したため公務執行妨害罪(以下単に公務執行妨害罪という)で現行犯逮捕(麻布警察署に引致)。このため、前記東大事件についての保釈取消決定による収監場所も東京拘置所から右警察署に変更。

同月一九日 東大事件についての保釈取消決定に基づく収監の執行

同月二一日 公務執行妨害罪で勾留状発付(勾留場所麻布警察署)、同執行

同月二七日 両事件について東京拘置所に移監

同月二九日 公務執行妨害罪については釈放

(三)  次に、本件請求で問題にしている昭和四五年六月一八日以後における被告人○○に対する警察官および検察官の取調状況について検討するのに、当裁判所の照会に対する東京拘置所長の回答書(二通)によると、同被告人が東京拘置所へ移監された同月二七日以後においては、警視庁公安第一課所属の警察官が同月二九日、三〇日、七月一日、二日、四日、六日の各昼間(最も早いときで午前一一時四五分から、最も遅いときで午後五時までの間)に同拘置所検事調室で最短一時間ないし最長約四時間の取調を「余罪取調のため」ということで行ない、東京地方検察庁公安部の検察官が六月二九日、三〇日、七月一日、二日、三日、四日の主として各夜間(七月三日のみは午後一時から。最も遅いときで午後九時四六分まで。)に同拘置所検事調室で最短一時間五四分ないし最長六時間二五分の取調を「余罪取調のため」ということで行なつた(六月二七日、二八日、七月五日および七月七日以降は取調が行なわれていない。)ことが明らかであり、検察官から提出された同被告人の検察官に対する七月三日付供述調書の写、当裁判所が前記取調検察官と面接し、また警視庁公安第一課係官に電話して聴取した結果によると、右各取調は東大事件および前記公務執行妨害事件とは関係のないところのいわゆる赤軍派(被告人○○は同派に加入し、積極的に活動していた)のなした航空機乗つ取り、強盗予備等に関してなされたものと認められる。そして、右証拠により明らかな事実関係と前記公務執行妨害が比較的単純な事案であることおよび同被告人の公判廷における供述等によつて考えると、前記移監前の六月一九日、二〇日、二一日、二四日、二五日、二六日にも麻布署においてほぼ本件勾留取消請求書に記載のとおりの時間程度前記警察官または検察官により前記赤軍派関係の事件についての取調がなされたものと推認することができる。そこで、右取調における取調官の態度、言動について、検討するのに、六月二六日および七月六日の各公判期月における被告人○○の供述内容や前記取調の回数、七月七日以降は全然取調が行なわれなくなつたこと等の事情を綜合考慮すると、被告人○○の主張するとおりではないとしても、取調にあたつた警察官や検察官の態度、言動のうちには被告人、被疑者の供述拒否権を尊重する慎重さに欠けたものがときに存したのではないかとの疑いが存するといわざるをえない。しかし、他面、被告人○○は公判廷において、取調官に対し再三断乎取調を拒否する旨述べ、取調に応じなかつたにもかかわらず、取調官から執拗に供述を強要する言動に出られた旨述べ、また、本件勾留取消請求書にも一部右の旨の記載があるが、これとても、前記同被告人の検察官に対する供述調書(写)に録取されている供述内容(赤軍派の一員としての自己の活動は政治的に敗北であつたことを認めたうえ、その活動の総括については別に上申書を書いて提出するとしながらも、保釈後から六月一八日に逮捕されるまでの自己の行動の概要についてかなり詳しく供述している)や前記検察官との面接結果に照らすと、にわかにそのとおりとは措信しがたい。

結局取調官による供述の強要が行なわれたかどうかについては、現段階における事実調の結果ではいずれとも断定できない。

(四)  以上の事実関係をもとにして、本件勾留取消請求の当否につき考えるのに、申立人は、第一次的に被告人○○に対する本件勾留が専ら東大事件とは関係のない赤軍派関係の事実の取調のための身柄拘束と化していて違法な別件勾留であると主張するが、被告人○○に対する本件勾留による身柄拘束は名実ともにその基礎となつている東大事件の審理の円滑・適正な遂行を確保するためのものであることは、前記(二)記載の経過に照らしても明らかであるので、右身柄拘束中の一時期に偶々別件の取調がなされているからといつて、本件勾留自体が違法な別件勾留に転化しているとはいえない。よつて右第一次的な主張は、理由がない。

次に申立人の第二次的主張は、本件勾留中に刑訴法一九八条、憲法三一条、三八条に違反する取調がくり返しなされているから本件勾留を取り消すべきであるというのであるところ、前示のとおり確定的な事実認定はなし難いが、たしかに本年六月一九日から七月六日までの間捜査官により行なわれたいわゆる赤軍派関係の事実についての取調は、その性質上、在宅被疑者に対する取調の場合と同様の法理に従うべきであるにもかかわらず、右取調の過程における取調官の態度、言動がときに刑訴法一九八条の趣旨と必ずしも相容れない場合もあつたのではないかとの疑いがある。しかし、仮りに右の違法があつたとしても、取調官による脅迫、暴行等のことが存した形跡の全く窺われない本件においては、その違法の程度、態様、本件請求がなされた本年七月九日よりも前のすでに同年七月七日以降現在まで被告人○○に対する取調は全く行なわれなくなつたこと、他面同被告人の保釈中の行動、住居関係(一定のところに居住せず赤軍派のアジト等を転々としていた)および同被告人の公判廷における意見陳述の内容等に鑑みると同被告人には逃亡のおそれも極めて強いものがあると認められること等の諸事情に加え、当裁判所としてはすでに本件請求前の七月七日と八日に、当時被告人○○の取調にあたつていた検察官および警察官に面接または電話して取調状況について事実調査した際、併せて、「東大事件および公務執行妨害罪に関係のない事実の取調をするのであれば、正規に右事実で逮捕したうえでするか、任意の取調として取調を行なうのであれば慎重にこれをなし、被疑者の供述拒否権を害することのないようにされたい」旨申し入れる措置をとつたことをも考慮すると、本件では「勾留の必要がなくなつたとき」にあたるとして被告人○○に対する本件勾留を取り消すことは相当ではないというべきである。

(五)  そうとすると、本件勾留取消請求は、理由がないから、これを棄却することとする。(熊谷弘 磯辺衛 金谷利広)

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